自燈明
大峰山の山伏の修行は験徳の修行、徳を高める修行、その徳をもって、世の中を善道に導き、世の中を明るく照らすを目的とします。
釈迦は多くの弟子を従え、ラージャグリハから最後の旅に出た。アンバラッティカへ、ナーランダを通ってパータリ村(後のパータリプトラ)に着いた。ここで釈迦は破戒の損失と持戒の利益とを説いた。

釈迦はこのパータリプトラを後にして、増水していたガンジス河を無事渡り、コーティ村に着いた。 次に釈迦は、ナーディカ村を訪れた。ここで亡くなった人々の運命について、アーナンダの質問に答えながら、人々に、三悪趣が滅し預流果の境地に至ったか否かを知る基準となるものとして法の鏡の説法をする。次にヴァイシャーリーに着いた。ここはヴァッジ国の首都であり、アンバパーリーという遊女が所有するマンゴー林に滞在し、四念処や三学を説いた。やがてここを去ってベールヴァ(Beluva)村に進み、ここで最後の雨期を過ごすことになる。すなわち釈迦はここでアーナンダなどとともに安居に入り、他の弟子たちはそれぞれ縁故を求めて安居に入った。 この時、釈迦は死に瀕するような大病にかかった。しかし、雨期の終わる頃には気力を回復した。この時、アーナンダは釈迦の病の治ったことを喜んだ後、「師が比丘僧伽のことについて何かを遺言しないうちは亡くなるはずはないと、心を安らかに持つことができました」と言った。これについて釈迦は、比丘僧伽は私に何を期待するのか。私はすでに内外の区別もなく、ことごとく法を説いた。アーナンダよ、如来の教法には、(弟子に何かを隠すというような)教師の握り拳(ācariyamuṭṭhi、秘密の奥義)はない。と説き、すべての教えはすでに弟子たちに語られたことを示した。

アーナンダよ、汝らは、自らを灯明とし、自らをより処として、他のもの(añña)をより処とせず、法を灯明とし、法をより処として、他のものをより処とすることのないようにと訓戒し、また、「自らを灯明とすること・法を灯明とすること」とは具体的にどういうことかについて、次の様に説いた。
アーナンダよ、比丘が自らを灯明とし…法を灯明として…(自灯明・法灯明)ということはどのようなことか?阿難よ、ここに比丘は、身体について…感覚について…心について…諸法について…(それらを)観察し(anupassī)、熱心につとめ(ātāpī)、明確に理解し(sampajāno)、よく気をつけていて(satimā)、世界における欲と憂いを捨て去るべきである。

として、いわゆる四念処(四念住)の修行を実践するように説いた。これが「自灯明・法灯明」の教えである。
煩悩  六道輪廻 九品往生 波羅蜜 四苦八苦 四念処 空・無 入滅 37道品 両界  金剛界  意馬心猿 十二因縁  サンスクリット  節分 干支 二十四節気 梵字 三学 自灯明・法灯明 猊下 四諦 敬讃 胎蔵界・金剛界 意馬心猿 十二因縁 節分 六道修行 解脱  庚申 初午 戒・定・慧・解脱  十善戒 阿闍梨